子ども時代の“安心”を書き出すワークで気づいたこと

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子ども時代の自分と向き合う作業

最近、「52 Lists for Calm」というジャーナルワークを始めました。
不安を落ち着けて、心穏やかな暮らしをつくるための質問形式のジャーナルです。

その中にあったのが、子ども時代に安心や幸せをくれたモノ・人・場所を書き出す、というページでした。ほっこりと温かい時間になるはずの問いですが、私はそのページを前にして、しばらく動けなくなりました。

ほとんど何も思い浮かばなかったという事実

書けたのは、当時飼っていたペットの名前のみ。

「みんなはきっとすらすら書けるんだろうな」と思いながら、私は空白のページを見つめていました。その瞬間、自分の中にある現実を突きつけられた気がしました。

私の実家は休まる場所ではなかった

私の子ども時代は、いわゆる機能不全家族の中での生活でした。

家は安心できる場所ではなく、気を抜ける空間でもありませんでした。

一緒にいて安心できる大人はいませんでした。

「幸せな子ども時代」という前提そのものが、私にはなかったのだと改めて気づきました。リスト形式で問われると、その事実は思っていた以上に重く、気づけば涙が出ていました。

それでも、ひとつだけ書けたもの

そんな中で、ひとつだけ書けたものがあります。

それは私のペット。私の安心の記憶は、そこにだけありました。

あの子の存在が私にとってどんなに大きかったのか、今改めて感じました。

「ひとつしかない」か「ひとつあった」か

最初は、「ひとつしかない」と思いました。

でも今は、「ひとつあった」と思いたいです。

暗い記憶の中で、完全なゼロではなかった。

それだけでも、あの頃の自分にとっては大きなことだったのかもしれません。

自分と向き合うためのプロセスが辛い時もある

幸せな思い出があることを前提にした問いは、人によっては、少し残酷になることもあります。もし同じように、ほとんど何も思い付かなくても、あなたがおかしいわけではありません。

安心できる環境がなかったのは子供だったあなたのせいではありません。

今、気づけたということ

涙が出たのは、あの頃の自分がしんどかったと、今の自分が認めたからかもしれません。

インナーチャイルドの癒しになりました。

今の私は、もうあの環境の中にはいない。
周りには、一緒にいて安心できる人たちがいて、居場所もある。

この、自分と向き合う日記で、このことに改めて気が付けて良かったと思います。

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