毒親でなくても、距離を置いたほうがいい親はいる
毒親でなくても距離を置いたほうがいいケースはあります。
自分の親がいわゆる毒親ではなかったとしても、
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子どもの迷惑になる行動を繰り返す
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会うたびに精神的に消耗する
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会ったあと、強い罪悪感や疲労感が残る
こうした状態が続くなら、距離を取ることは自然な選択だと思います。
たとえば、
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子どもの感情や意思を尊重しない
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罪悪感や恐怖を使ってコントロールしようとする
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子どもを「自分の期待を満たす存在」として扱う
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子どもの人生よりも、自分の不安や世間体を優先する
など、こうした関わりが続くと、子どもは自分の気持ちよりも親を優先する癖がつき、自己肯定感を失いやすくなります。子どもの心よりも、親の都合が常に優先する親に疲弊する子どもも多いです。
そういう場合、距離を取ることで心が穏やかになり、自己肯定感が上がってくるかもしれません。
でも罪悪感が生まれてしまう
親から距離を置こうとすると、子どもは罪悪感に苛まれることがあります。
「親の気持ちを考えないといけない」「親不孝」
こうした感覚は、親からの支配的な言葉や社会の親孝行観によって植え付けられたものです。でも、親から距離を置くことは決して親不孝ではありません。
こうした感覚は、親から繰り返し言われてきた言葉や、社会に根強く残る「親孝行は絶対」という価値観によって、無意識のうちに刷り込まれてきたものです。
距離を取ることが親不孝になるわけではありませんし、特に心や生活が脅かされている状況で距離を取ることは、責められる行為ではありません。
親不孝=思い込みや刷り込みであることも多い
支配的な親は、子どもが自分の期待通りに動かないと、
「そんなことをするなんて親不孝だ」「育ててやったのに」
と責めることがあります。
でも冷静に考えてみてください。
親を傷つけないために自分を犠牲にし続けること、振り回されながら生きることが、健全な関係と言えるでしょうか。
距離を置く理由は「逃げ」ではなく「自己防衛」
あなたが距離を置くのは、
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心の安全を守るため
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健全な生活を送るため
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自己肯定感を保つため
という、極めて正当な理由による自己防衛です。
これは親を罰する行為でも、見捨てる行為でもありません。
毒親育ちだと、どうしても「親を優先しなければ」「親を喜ばせなければ」という気持ちになりがちですが、それよりも自分の心を大切にすることのほうが大切だと思います。
もし自分が家庭を持っているのなら、そちらを守るのが一番ではないでしょうか。
距離を置くことは、関係を壊さないための選択でもある
無理に愛されようとすること。
支配や操作に従い続けること。
それらは一時的に衝突を避けられるかもしれませんが、長期的には怒りや憎しみを溜め込んでしまうことになりがちです。
一方で、安全な距離を保つことは、
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自分やパートナー、子供の精神的安定を守る
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将来イライラしながら介護をする状況を避ける
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関係が完全に壊れるのを防ぐ
という意味で、むしろ建設的な選択です。
距離を置くことで生まれる心の自由
毒親や、違和感を感じる親との接触を減らすことで、心に余裕が生まれます。
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自分の感情を尊重できる
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健康な人間関係を選べる
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子どもやパートナーに、健全な愛情を注げる
これは冷たい人間になるということではありません。
自分の人生を自分の手に戻すということです。
自分が辛くならないよう、できる範囲で親に何かしてあげるくらいでいいのではないでしょうか。
親に何かしてあげることだけが、親孝行ではありません。自分を大切にする、自分が楽しく生きたい人生を生きるということが本当の親孝行ではないでしょうか。

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